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ヴォイツェクと世界


woyzeck & world

本作品は、追いつめられた下級軍人がその妻を殺す、というものだけれども、この実話に基づいて始まった話に、今、どの様なリアリティを持てば良いのか。

ビューヒナーの宿命論、は彼に対してシンパシーを持って貰おうとかそういう類ではない。

何かもっと大きな、大きな力によって動かされる、そういった力の事。

大きな世界で、200年前ではなく、

今、を描きたい。

 

23歳にしてチフスで死んだ若き天才が産まれてから丁度200年、その作品に向かい合う。

これも宿命?

               長谷川寧

よりにもよって、演劇とダンスを作る。

 

此処最近、ダンスとは何なのか、何処からが演劇なのか、そもそも舞台表現とは、と延々と考える作品が続いていたので、

これもその方向性の1つには違いないのだけれど。

わ、わ、わ、と自分の中で悲鳴を上げて分裂を続けてみた結果、Manos.(マノス)という別のアプローチが産まれて。

Manos.の意味、「両手」という所からも取れる様、非常にアナログに、手作りで全く愚直に作るしかない。

本作「ヴォイツェク」は、演劇、ダンス、ミュージカル、オペラ、全てのジャンルで制作されている稀有な作品で、それも今回の企画を行う理由の1つ。

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