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美しき対談

Vol.1 小畑和奏 Wakana Obata

冨士山アネット/Manos.(マノス)初の単独本公演として行われる[醜い男]。

この傑作戯曲を上演する為に集まった方々と演出の長谷川寧が対談をしていくシリーズ[美しき対談]。

第1回目は前回公演[Woyzeck/W]でもお世話になったドラマトゥルクの小畑和奏さん。

世界中で上演される戯曲

 

長谷川 寧(以下、寧) 今日は宜しくお願いします。

小畑 和奏(以下、小) お願いします。

寧 まず台本について伺いますが、当時上演された時は、結構すぐ人気が出た作品なんですよね?

小 そうですね。同じ年の3月にはミュンヘンの劇場でも上演されてます。

寧 他の演出家でですか?

小 はい。同じ年の9月にはイギリスのロイヤルコートで上演されて、同時に英訳が出版されています。

  次のシーズン以降はドイツ語圏の他の劇場でも何度も取り上げられ、毎年必ず幾つかの劇場のレパートリーになっています。

寧 戯曲の内容がアイデンティティの話に関わっていますが、中国とかアジア圏でもこの戯曲が取り上げられているのを見ると、受入れの幅が広いなという印象があって。

小 戯曲自体がアイデンティティという括りだけでなく、割と自分の国でも置換えて考え易い普遍的な内容だったりする事があるのかもしれないですね。

 

受容する側が作品を通してどうコミュニケーションをとるか

 

寧 この戯曲のテーマの1つとして、「美醜」という、共感しやすい所がありますよね。

  以前、「美しいという基準はあるけど、醜さの基準はない」という話をしてくれたじゃないですか。

  美しさはある程度共通の認識が存在しているけれど、醜いというものに対して、基準が設けられていないと。

  人それぞれで、好みもあるし、醜さは美人よりも個性が出ると。その話は成程、と。

  醜さをあらわすのに、想像できる余地があるのが面白いなと思っていて。

  ドイツ人がやる醜さと日本人がやる醜さはまた違うと思うけど、日本でtptや世田谷パブリックシアター等で公演された時は御覧になりました?

小 世田谷パブリックシアターの公演は拝見しています。

寧 日本人がやっている公演という事で、何か思われる所ってありました?

小 この戯曲は、色々な問題提起を含んでいて、それぞれの時代に応じて照らし合わせる事が出来る様な示唆に富んだ作品だから、

  上演する国や人というよりは上演する側・受容する側が作品を通してどういうコミュニケーションをとれるか、という事が重要だなと思いました。

 

2014年の日本での上演

 

寧 僕は[HIKIKOMORI](ホルガー・ショーバー)とか[光のない。](エルフリーデ・イェリネク)と、たまたまドイツ戯曲を続けてやっていて、

  小畑さんとは前回の[Woyzeck/W]に続いて二度目ですが、今回何か目標とされる事ってありますか?

小 前回は古典で、かつ未完の戯曲だったから、作品を解体する前に解体する土台をきちんとつくろうと思っていました。

  それを作った上で、当時2013年に日本で上演する意味を考えられたらと思っていたけれど、私が出来た事としてはほとんど土台づくりで終わってしまいました。

  今回は、2007年初演という割と最近だけれど最新ではない戯曲なので、何故日本で上演するのか、いま何が出来るか、

  しかも日本で上演するのは今回が四回目という事で、その意味を更に深く考えられたらな、と。

寧 震災後にこの戯曲が上演されるのは公式的な上演記録としては初で、

  震災により価値観が崩れてしまった今に上演するというところにひとつの意味があるのではないかと思っていて。殊更にそれを打出そうという訳ではないですけど。

  現実がドラマより強くなってしまった状況が起こってしまった上で、だからこそまたドラマが求められている傾向もあると思う。

 

高級感を孕んだ、猥雑なコメディ

 

寧 [Woyzeck/W]は戯曲が分断されている印象で、それがとてもダンス的であったから、僕の中でダンスと演劇の両方をテーマにしたんだけど、

  今回はManos.初の単独本公演で、改めてストイックに演劇をやっているのが新鮮ですね。

  公共劇場でこういう題材を扱った作品を上演する事もすごくチャレンジだと思っています。

  戯曲がトピックとして扱っているものは、美醜という一見いやらしい部分である事が。

  いやらしいと分っていながら扱っている作品だからこそ、面白いのだけれど。

小 戯曲のスタイルとしてはすごく洗練されていますが、内容は結構きわどいブラックコメディですよね。

寧 でも、作品に通底する高級感は大切にしたいと思っていて、そこをどう保てるかなと。

  会話劇として成立させながらどんな風に遊びを入れていくか、難しいところではあるけれど。

小 何故このタイミングでこの戯曲を選んだのですか?

寧 Manos.をやるにあたって、やりたい戯曲だという思いは以前からずっとあって。

  また前回の[Woyzeck/W]が分断されている戯曲で、整理のついていないものを見せるという作業だった流れから、

  今回は完成された戯曲で、整理のついているものを見せる、という逆転の発想をしたいなと思ってます。

  出演者が皆クリエイティブなので、俳優の持つ引き出しも意識して引き出したいですね。

小 俳優さんたちもすごく面白い方々ですね。ドラマトゥルクとしては、戯曲の持っている面白さとかコメディの中に在る鋭さも作品の中に仕込んでいきたいですね。

寧 その配分は稽古をしながら探っていきたいですね。今後の稽古でも引続き宜しくお願いします。今日はありがとうございました。

小 ありがとうございました。

小畑和奏 Wakana Obata

大学在学中より、演劇・ダンス等の舞台公演や、ドイツ語圏の戯曲の翻訳に携わる。主な仕事に

東京ドイツ文化センター主催ドイツ語圏現代演劇ヴィデオ上映シリーズ『今ここで(原題:Hier und Jetzt)』(チューリヒ・シャウシュピールハウス)字幕翻訳、『ヘッダ・ガブラー』(シャウビューネ・ベルリン)字幕翻訳、ゲオルク・ビューヒナー生誕200周年記念DVD上映『ダントンの死』(ハンブルク・タリア劇場)字幕翻訳・製作など。

ドラマトゥルクとしては冨士山アネット×冨士山アネット/Manos.[Woyzeck/W]に引き続いての参加となる。

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