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Column

同行二人

2018/1/21

シアターねこで「巡礼」を観劇した。作品の奇妙な引力に魅了され、得体のしれない興奮に襲われた。タイトル「巡礼」という言葉が頭をぐるぐる巡る。困惑をクリアにしようと四国巡礼について調べた。辞書で引き、ネットで検索する。四国八十八カ所霊場会の公式ホームページにはこのように書いてある。「お大師さまは、私達一人一人が自らの能力、才能を存分に生かしきる生き方を目指し、努力することを勧められました。」と。

 

本作品は公式ホームページに記されているような仏教の信仰を表現したものではない。弘法大師のシャーマニズムを狙った作品でもない。しかし、弘法大師の存在を感じざるを得なかった。

 

ところで、一般的な演劇とは非日常的な空間を生み出すものである。観客は平凡な生活から離れ、創られたドラマを生で体験する。普段触れられない虚構の世界や、憧れの俳優に接近しようと劇場へ足を運ぶのだ。演出家は作品の中で様々な共犯関係を観客と結ぶ。その共犯関係の下に、観客は日常から非日常へ誘われるのだ。

 

しかし本作品はどうだろう。ドキュメンタリ―演劇と謳っている。非日常へ連れ込むどころか「目の前で起こることは日常である」と明言している。「“巡礼”は日常である」という共犯関係下において、観客を非日常へ誘うのは至難の業だ。

ところが、観客は見事に非日常的空間に誘われた。それは日常が非日常化していたからだ。

 

演出家長谷川寧は、愛媛での滞在制作の中で厳しい環境下に置かれてしまう。四国巡礼の旅に出たが、そこで出会う人々は一風変わっていた。作品の制作過程で生じる事件、巡礼中に起こる出来事、その全てが有り得ないようなものばかりだった。演出家の日常に非日常的事件が発生するのだ。「巡礼」を膨らませるためにこれらの異変が生じたのではないか、とすら感じるほどだ。

弘法大師が演出家の能力を存分に生かしきるため、努力することを勧めているのではないか。

 

「巡礼」は、長谷川寧と弘法大師が共に歩む旅路なのだ。

マグロ解体ショーを観に行こう

2018/1/15

マグロ解体ショーを見たことがあるだろうか。港市場や寿司屋で職人がマグロをさばくパフォーマンスだ。生で見たことはなくても知っている人は多いだろう。

 

中学生の頃、市場でマグロ解体ショーを見たことがある。華麗な手さばきに圧倒された。そしてマグロというものがよく分からなくなっていく体験だった。

マグロが解体され骨や内臓が露わになる。その姿は普段食卓に並ぶマグロとかけ離れていた。自分の知っている刺身やたたきの姿ではない。しかし、横たわるマグロはマグロ以外の何物でもない。むしろ調理以前のマグロそのものだ。その落差を目の当たりにしマグロというものがよく分からなくなったのである。身が削られていくマグロに「マグロとは?」と追求される気がしたのだ。

マグロが身を削ってマグロ自身そのものを問うように感じたのである。

 

さて、先日おしゃべりねこに参加した。本作品の演出家と俳優のトークイベントだ。冨士山アネットの過去作品が紹介された。足を運べなかった人のためにざっくりと内容を記そう。

初期の冨士山アネットは戯曲から身体を立ち上げるダンス的演劇(テアタータンツ)という独自のジャンルの作品を制作していた。2015年には様々なジャンルのダンサーを集めた「Attack On Dance」を発表する。2016年に出演者0名観客参加型作品「DANCE HOLE」を制作。2017年には女性舞踏家とのデュオ作品「ENIAC」を発表した。

各作品は一貫してあるパフォーマンスを含んでいると感じた。それはマグロ解体ショーの要素である。ある対象が身を削って自身そのものを問うのである。

 

「Attack On Dance」はダンサーへの「ダンスとは?」という問いかけを元に創られた。ダンサーが身を削ってダンスそのものを問う。すなわちダンス解体ショーだ。更にダンスを削り出した作品が「DANCE HOLE」であると見る。「ダンサーのいないダンス公演とは?」とダンスの仕組みそのものを濃密に問う。より細分化したダンス解体ショーだ。解体の対象は徐々に絞られていく。「ENIAC」は舞踏家石本華江に「いつまで踊り続けられるのか?」と問う。彼女のバックボーンを削り出し舞踏家の解体に迫った。

 

本作品「巡礼」はどのような解体ショーなのだろう。巡礼の旅に同行した佐々木慶は「身も心も削られる」と言っていた。そして「俺このままでいいのかな」「俺どうなっちゃうのかな」と自身に問い続けていた。

 

きっと演者自身が身を削って「演出」そのものを問う解体ショーなのだろう。

「巡礼」は大河ドラマである。

2018/1/6

 今週から大河ドラマ「西郷どん」がスタートした。年末年始に実家の鹿児島に帰省すると、大河ドラマの影響で鹿児島は西郷のPRに吹き上がっていた。西郷隆盛とは幕末から明治にかけて活躍した薩摩の偉人である。実在した彼の一生はなんともドラマチックだ。盟友大久保利通と袂を分かち、西南戦争に至る最期はあまりに劇的である。激動の生涯は「本当にあった話なの?」と疑ってしまうほどドラマチックで、故に大河ドラマに取り上げられたのだろう。

 

 大河ドラマとは実在した歴史上の人物に基づく物語である。事実の記録に基づいて幼少期から最期までを追って描く。すなわち偉人のドキュメンタリーといってもいいだろう。多少の脚色はあるだろうが物語の大筋はドキュメントだ。歴史上の人物の生涯とは「本当にあった話なの?」と疑ってしまうほどドラマチックなもので、大河ドラマとはドキュメンタリーかドラマか、という絶妙な物語なのである。


 

 さて、本作品「巡礼」だがフライヤーには“ドキュメンタリー演劇”と書いてあるではないか。聞き覚えのない単語である。なにが、どう、ドキュメントなのだろう。タイトル「巡礼」とあるが、どういった事実に基づく「巡礼」なのだろう。それはどうやら四国八十八か所の巡礼らしい。そしてなんと驚くべきことに、演出家の長谷川寧と出演者の佐々木慶は本当に八十八か所を巡礼している。真冬に傘を被りお遍路をしているのだ。その様子はSNSでも公開されている。この事実を観劇前にぜひチェックしていただきたい。年明けに稽古場に伺ったのだが、旅路で起こった事実の記録に基づいて作品を創っていた。まさにドキュメンタリーである。そして、道中での出来事は「本当にあった話なの?」と疑ってしまうほどドラマチックなものだった。稽古場に居ながらドキュメンタリーかドラマか区別がつかなくなる感覚に捕らわれた。

 

 ―ドキュメンタリーかドラマか、という絶妙な物語である「巡礼」。これは大河ドラマといっても過言ではないだろう。

本坊由華子​

愛媛を拠点に活動する医師と医学生の劇団、世界劇団を主宰。
三代目四国劇王と三代目中国劇王の二冠を獲得。
2015年に「劇王天下統一大会 in KAAT」(神奈川)に四国代表として出場し、高い評価を受ける。
2017年に短編代表作である「鼓動の壷」と新作長編書下し「さらばコスモス」にて松山、広島、北九州の三都市ツアーを敢行。

​2018年9月に、こまばアゴラ劇場での東京公演が決定している。

http://worldtheater.main.jp/
 

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